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断る努力こそ大事!判断基準はメリットの有無。ワガママ人間は排除。

この記事の所要時間: 517

 ずうずうしい人が快適な世の中なので、面倒な時は断る努力をしましょう。

 嫌だと思った場合、相手の要求に応える事にではなく、断るために最大限の努力をするのが大事。断れない人は特に。

 本当に偉いのは我慢して相手の要求に応えるよりも、ちゃんと断れる事です。

 断る努力は大事

 「自分はずうずうしい人に利用されている」と思ってる人でも、考える事を面倒臭がって人に頼ったり、人に調べさせたりといった様に、人の事を利用してる自覚を持たない、ずうずうしい人だらけの世の中です。

 自覚を持ってずうずうしく生きてる人も大勢居ると思いますが、これも「人に頼る」「人に助けてもらう」という便利な言葉に置き換えて解釈したり、「詳しい人に教えてもらってる」などと好意的に解釈したりしたところで本質的には同じです。

 頼られると断れない人ほど、そういうサイクルに陥りがちですが、頼られたからといって応えてやる義理などありません。頼ってくる側は「単に面倒くさいから丸投げしてるだけ」なんて程度だったりするし。

 でもこういうので悩んだり面倒だと感じる場合は、もっと身近でもっと小さなケースが大半だったりします。友人関係とか。そういう事こそ、取捨選択が大事。

メリットがなく、面倒だと感じるなら、相手が誰でも断る。

 言葉で考えたらいやらしいけど、結局は損得勘定で取捨選択するのがベストです。自分にメリットがないなら断って良いです。

 たとえば「◯◯が壊れたからちょっと見に来てよ」の類。

 遊びにきなよ。ついでに◯◯を見てよみたいな言い方だったとしても、遊びに行くメリットよりも、面倒くさいというデメリットが大きいならば断りましょう

 面倒くさいなとちょっとでも思えるのであれば、どんな相手であったとしても、手間賃と電車代くれるなら行ってもいいよ、程度の気持ちで居るのがベスト。

 もちろんそんな事を簡単には言えないので、そうやって言えないならば、面倒くさいを理由に断ればいいし、面倒臭さをこちらが我慢してるにも関わらずこちらが交通費と時間を使ってやってやる理由など皆無。相手だって面倒くさいから人に頼ってる訳だし。

 逆を返せば、そうやって頼み事があるならば、最初から交通費と手間賃を払うからって言うくらいじゃないならば、人に頼る事自体が間違い

 友達だと思うならば、その友達を無料サポート扱いしてるのは何故だという話になるし。友達なんだからいいじゃん、は理由になってません。ボランティア精神は自発的なもので、人に強いられるのではありません。

 だからこそ、嫌なら断ればいいだけです。

 世の中のサポート業務はそれだけでお金が取れる訳だし、無料じゃない。情報が無料だと考えるのも間違いだし、そこを「友達だから」の一言で押し切るのは間違い。なので、押し切られる必要もありません。面倒くさい時は面倒くさいからやだ、でOK。

 そもそも、相手がずうずうしい事を行ってきてるんだから、そんな事に応えてやる必要すらないのです。なにより、相手がその程度の扱いをしてくるんだから、断っても支障ないです。

 

人のワガママには敏感だけど、自分のワガママには無頓着

 人からのワガママには敏感だけど、自分自身のワガママには無頓着。自分で考えようとしないから、自分がワガママという発想自体なく、気付かないというありがちのパターン。

 逆で考えるとわかりやすくて、わからない事や自分が苦手な事で人に頼るというのはよくある事ですが、その要求があまりにも自分勝手だと判断された場合「この人はずうずうしい人だ」となってしまうので、何でもかんでも人に頼るのは考えもの。

 なので、大人は何かをして貰ったら手間賃を払ってるんだと思います。友人関係を言い訳に感謝の言葉すら無い人と比較するとわかりやすい。

 

面倒くさい事を頻繁に押し付けられてる人にアドバイス

 相手に頼られて、その期待に応えようと頑張ってくれる人も大勢居ると思います。頼られてる側の人に言える事は

面倒だと思うなら断って良い

 という事です。全然失礼じゃない。むしろ、面倒くさい事を人に押し付けてくる事自体が、本来失礼な訳だし。

 結局、面倒くさいと感じてるから相手は頼って来てるのであって、その面倒くささをこちらが負担してやる必要など皆無。その面倒くさい理由が少額をケチってとかならば尚更。

 自分が疲れてまで接する必要などないです。

 頼ってくる人は、段々要求がエスカレートしていき、だんだん横柄になっていくものです。そうじゃない人も居るだろうけど。

 基本的に他人の時間を自分の為に使わせるというのは、時間を確保する上でベストな選択肢ですが、皆、馬鹿ではないので、簡単に人の時間を使ってこようとする人間は、敬遠されます。

 なので、自覚をもたないずうずうしい人は、どんどん敬遠されていきます。仕方ない。だってずうずうしい人が嫌いなのは誰でも一緒。恐らく、そうやって敬遠されてる人自身だってずうずうしい人は嫌いな筈。

 

結論。自分自身も誰かに頼りたい対価を払う。

 手間賃を払う(例えばご飯を御馳走するなどでも)、交通費を払う、といった事を面倒臭がったりケチったりする様な人は、友達と呼べません。自分もそういう事をするのはやめましょう。

 状況的にそういう対価が支払えないケースも勿論ありますが、その場合は断られて当然と考えましょう。頼る側も逆ギレしたらダメ。対価がない=メリットがないんだから断られて当然。

 あともう一つ言えるのは、こういった事は感謝の気持ちが大事なのに、それすらない人というのが、世の中に大勢いるずうずうしい人達の特徴なので、そういう面倒くさい人はどんどん排除していってしまいましょう。

 逆を返せば、上手にずうずうしくなれば良いと言う事です。感謝の気持もちゃんと持って、相手にメリットがないような押し付けはしない。それこそ手間賃払うなんていうのは手っ取り早い解決策です。それでこその助け合い。

 助けてもらって感謝って、言葉にすると当たり前なのに、出来ない人が多いのは何でだろう。

 繰り返しますが、判断基準は損得勘定で良いと思います。メリットがないと感じるならば断る事が大事。断る事こそ努力しましょう。


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