特定の人の何らかの事柄……例えば才能、人生、財産、容姿、成功。
なんでもいいけど、これらに対して妬んだり、僻んだりして陰口を叩いたり、悪口を言ったりするのは、非常にかっこ悪い。それこそ敗者の論理。
その悔しさをバネに行動力とする、という様な意味ならばまだわからなくもないけど、それをわざわざ口にするのはやめた方が良いと思います。
そもそもそういう思考自体を持つべきではないと思ってます。
例えば成功に妬むとかだったら、それよりもその人に憧れて、その人みたくなりたいと思った方が前向きに感じます。その人の方法論が許せないならば、自分なりのやり方で自分も成功すれば良いだけ。
成功もしてない、好きなところもない、別に僻んでもいない、妬んでもいない、というのであれば、そんな(自分視点では)小者の事をあれこれ考えたりする時間自体が無駄です。他の事に時間を使いましょう。
何にせよ、悪口というのは「あ、この人は他の人に対しても、私の悪口を言ってるのかな」と考えてしまうし、私はそう思ってます。そういう人はどこでも悪口を言う。
基本的に、無意味なポジティブさは馬鹿だと思われるけど、それでも常日頃からネガティブな事ばかり言って第三者への悪意を振りまいてる人よりかは数段ましだと思います。一番良いのは、根拠があるからこそポジティブで居られるという状況。
言葉は悪いですが、くすぶってる人はくすぶってるなりに理由がある気がします。
・口ばかりで行動しない
・失敗を恐れて何もしない
・少数の悪意が嫌で何もできなくなる。
こうやってあげていくと切りが無いけど、最後の、少数の悪意。これって結構やっかい。
その意見が全体でたったの一人だったとしても、その一つの意見で心が折れて、決断力が鈍ったり、行動できなくなってしまいがちです。
これが、全体のパーセンテージで大きく占めてるならば、自分自身も省みる必要もあるかも知れませんが、それが極々少数のパーセンテージで、尚且つ、自分の意見と異なってるならば、別に気にしないで良いと思います。
気にしないというのが無理ならば、気にしないふり。
私は、最初は気にしないふりをしてましたが、次第に気にならなくなりました。それは例えば、去る者追わずみたいな精神とかでも現れてます。
今は完全に去る人よりも、来る人の方が多いので、どうでも良くなってます。人それぞれ。100人居れば100の考えがある訳だし、合う合わないもあるから、無理に引き止める必要も詮索する必要もなし。
これも、前述の通り、パーセンテージが大きい、つまり去られる事が多いならばまた話は別になってくるけど。
どちらにせよ、最終決断は自分自身に委ねた方が後悔は少ないです。人の悪意で意見を変えてしまうのはバカバカしい。
極端に言えば、反対意見が多くても、風当たり強くても耐えられるとかならば、自分の信念に基づいて動き、信念を貫いた方が後悔は少ないと思います。
私の場合、そこまで反対意見が多いと、間違ってるのは自分なのではないかと流石に思っちゃいそう。そこまで反対意見が多かった経験もないけど。
ストレスフリーの快適な人生を歩む上で、色々な方法論があると思うけど、自身の思考で敵やストレスを増やしてしまうのは、非常に無駄に感じます。
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