m3k.biz

架空の悪口を恐れていると、何もできなくなる。

この記事の所要時間: 557

 ◯◯と言われそう。
 こんな事したら、◯◯って絶対に言われる。
 ◯◯だって思われたら嫌だな……

 こういったことを考えてるとキリがないし、ますます不安が増幅されてしまい、本当に何も出来なくなってしまいます。

 行動しない事にはスタートラインにも立てないし、スタートラインに立たなければ成功も失敗もありません。無。成功しないけど失敗もしないという選択肢を選ぶのが悪いこととは言いませんが、それでは何もやっていないのと同じ事です。

 架空の悪口を恐れない勇気は大事です。そして、失敗を恐れない勇気も大事。

 

悪口を並べてくる人は、そもそも自分にとって要らない人。

 耳にやさしい事だけを並べてくる人とだけ接するという意味ではありません。陰口を叩いたり、人の悪口ばかり言ってる様な人とは、一定の距離以上近づかない様にする事が大事。悪意は伝染するので、自分までそういう人間になってしまいます。

 基本的に、悪口ばかり言ってる人というのは、何にでも悪口を言ってくる人間で、自分に対して他の人の陰口を叩いてくる人は、他の人にも自分の陰口を叩くような人間です。

 自分の悪口も平気で言ってくる様な人間なんて明らかに不要。そういう人間は、成功しても妬んで悪口を言い、失敗してもとうぜん悪口を言ってきます。

 自分が明らかに悪口としか思えないのならば、相手がどういう気持ちで言ってようが、自分にとっては悪口なので、そういう人間に対して気をつかう必要はありません。ですが、本当に悪口なのかを考える事も大事なので、何でもかんでも悪口と決め付けない様にする必要もあります。

 どういう意味で言ってるのかを考えもしないで、その言葉や行為に対して反射的に反応するだけでは、気付かない事もあります。

 

余計なお世話、善意の押し付け、気に入らないと文句ばかり言う。

 文句ばかり言ってる人の大半は、何でもかんでも相手が悪いと決めつけているのが原因です。一概には言い切れませんが、その結果として、周りから人がいなくなっていく人は、間違いなく自分自身が原因です。

 自分の間違いを相手が指摘してくれてる場合でも、善意の押し付けは信頼関係が築けていない相手だと嫌がられるし、言う方も言われる方もお互いが嫌です。そして、相手の為と称して相手の欠点ばかりを指摘してしまうのも考えもの。

 現実には仕事での上下関係でもない限り、あまりこういった事はなくで、大人はいちいち指摘してくれないので、間違いや悪いところを指摘しても、悪意、悪口と取られがちです。

 だからこそ、相手との信頼感は大事で、そういった信頼関係が築けていない相手には、深入りしないのが得策。

 逆に、自分が距離を置くのではなく、相手に距離を置かれてしまう事が多い人は、信頼感、信頼関係とはどういうものなのか、という事をまず考えてみる必要があります。自分の考えや感情を押し付けてるだけでは無意味で、相手が望んでない部分で気をつかっても、その気づかいは相手に届いていません。

 こういった事も踏まえた上で、自分にとっては悪口だと思える事を言ってくる人とは、一定の距離を保っても構わないと思います。それによって自分が行動できなくなるのだとしたら、それが一番駄目。そして、それが合ってるかどうかの客観的意見と自分の意見が異なっていても構わないと思います。

 全ては自己責任

 

大人は指摘してくれない。

 指摘してくれればいいのに、言ってくれればいいのにと言った考えは間違いです。

 大人は、大人に対していちいち指摘してくれません。そして大多数の人は、大きなお世話、善意の押し付けとして嫌がります。それこそ前述の「悪口」と取られてしまい兼ねない為、余計な事は言わない、というごくごく普通の考えです。

 そして、我慢してる事があったとして、その我慢が限界に来たら、本人に直接怒ったりしないで、そのまま消えていきます。怒ってくれる人も居るかも知れませんが、少数派。

 なので、間違ってる事は自分で気付くしかありませんが、それもなかなか難しい所があります。自分で気付かないままで居ると、自分の周りからどんどん人が居なくなってしまうので、そうなる前に自分で聞いてみるのも良いかも知れません。

 ですが、聞いても答えてくれないのが大人です。言う方も言われる方も、双方良い気はしないので、だったら余計な事は言わずに黙って距離をおく、という選択肢を選ぶのがごくごく一般的な考え。

 結局のところ、そうなる前に軌道修正してくれる信頼出来る相手と、良好な関係を構築する事が大事なので、人脈という言葉を使って闇雲に人と接したり、無理して交友の幅を広げても、効果は薄いです。

 あ、でもここ誤解されない様に言うと、何もしないよりは積極的に交友の幅を広げる方が良いと思います。特に知り合いが全然いない、友達が全然いないと自覚を持ってる人は特に。

 ですが、数撃ちゃ当たる戦法では、効果が薄いとも思います。それこそ信頼関係のない人とは、たいした事は出来ないし、たいした会話も出来ません。更に言うと、「私は友達がいない」と公言してる人は、その人の事を友達だと思ってる人すらも遠ざけてる事に気づく必要もあります。

 そもそも、友達でもなんでもそうですが、無い、居ないというのは自分が何もしてないからであって、求めてばかり居るのではなく、自分から行動しないと無意味です。それこそ最も確率が低い運頼みなんて、無意味の最たるもの。

 

運頼み、神頼み、占い頼みの無意味さ。

 これらは全て人任せにしてるのと同じ事で、自分から何もしないし努力もしないけど、運が全てを助けてくれるに違いない。助けてください。と言ってるだけで、全く行動を興してないので、結果が現れるわけがありません。

 「占いで良いことが書いてあったからと、それを励みに行動する」といった様な、自己啓発の一環としての占いは非常に良いと思うし、そうやってある種の自己暗示をかけるのは実際に効果があるから良い事だと思いますが、単に「占いが良かったから今日は良い事があるに違いない」みたいな受け身では良いことなんて起きるわけがありません。

 何も行動してないからです。

 結局、何が良い事だったかなんて、考え方次第。七転八倒と七転び八起きの違いと同様です。

 逆に、悪いことが書いてあったとしたら、個人的には気にする必要ないと思います。「占いで悪い事が書いてあったから行動するをやめよう」という考えも、私個人的な意見としては、馬鹿馬鹿しいなと思っています。もし、どうしても不安ならば、その占いで書いてある事に対して気をつけよう程度の備えで充分だと思います。

 むしろ、交通事故や日常での怪我に気をつけましょう。そっちの方が確率高いです。

 何事でも、無から勝手にやってくるのではなく、自分で行動した結果なので、何でもかんでも人のせいにするのはやはり良くない事だと思います。

 極論を言ってしまうと、本当に信頼出来る相手とは、何度疎遠になっても再び巡りあうもので、簡単に得ようと思っても得られません。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。