努力すればいいってものでもなくて、無意味に頑張っても無駄だと思ってます。そんな事しか出来ないんだったら、頑張らないで努力しない方がまし。
学生時代とか、既にわかってる事を家で予習させられて、再度学校でもやらされるのは苦痛だし無意味だと思ってました。だったらその時間をわからない事や、知りたい事を知る為の時間に費やすべき。
と、言ってもこういう思想は義務教育とかだと、難しい所もあるのかな。協調性だとか集団生活だとかそういった方面の話になってくるのかも。それが良いかどうかはまた別として。
◆無人島で怒鳴る無意味さ
無駄な努力というのは、無人島で怒鳴る様な無意味な事はやめようという意味であって、脳を使えば全く努力しないで何でも出来るみたいな意味ではないです。
でも世の中、根性論や精神論だけで解決する事が多く、それで解決出来てしまうなら楽だけど、途方も無い苦痛を伴う事が大半なので、合理的じゃない。
例えば、100時間本を読んで記憶するとか、こういうのは根性論。
もっと言うと、頭を使った上で根性論、精神論で努力とか出来る人は凄いと思う。努力って才能。そんな人、一握りだと思うけど。私には無理。
◆好きになってしまえば苦痛じゃなくなる
好きな事はいつまでも出来る人も多いし、誰もが好きな事をより好きになれる努力は少なからずしてると思います。
勉強とか運動とか何でも、好奇心を刺激して好きになってしまえば、勉強や練習も苦痛ではなくなる気がします。実体験。
嫌いな事を好きになったり、面倒な事にハマったりするのは簡単ではないけど、そういった事が楽しいと思える様になったら強いです。
実際は、嫌いなのではなくて、他の欲求に負ける事の方が多いと思う。
練習面倒だからゲームしようとか、勉強面倒くさいから寝てようとか。
◆頭を使ってない努力とは具体的には、こういった行為
- 人の居ないところで、一生懸命宣伝活動する
- 野球の練習と称して何も考えず、素振りを繰り返す
- ただただ数だけをこなす
いや、これらももちろん実を結ぶ事もあるだろうし、漢字練習や計算練習とかと同様で、ただただ数をこなすだけでもそれなりには効果あると思うし、全くの無意味かと言ったら一概には言い切れないけど、でも非効率的だと思います。
全てが漢字練習や計算練習と同じではないので、頭を使って努力する事が大事。
ちゃんと頭で考えて、どういう努力をすればどうなるのかを明確に考えた上で、的確な行動をとる事が大事。
極端な事を言うと、無駄な努力を繰り返す人よりも、頭で考えて努力してる人の方が効果的。体で覚えるしかない様な事を習得するとかならまた別だけど、それにしたってどうすれば効果的か頭で考えながらすべき。
読書とかも同じで、実用書とかを隅から隅までキッチリ読んで読了する人よりも、自分に必要な情報だけをピンポイントで読んでる人や、流し読み程度で繰り返し読んでる人の方が絶対に頭に入ってると思います。
きっちり全文を一回読むよりも、それより短い時間でてきとーに10回読んだほうが頭に入る。
◆努力する事自体は大事だけど、もっと大事なのは頭を使う事
努力しなくても、頭を使って合理的にやれば良いというのも事実だと思うけど、そんな合理的な方法、誰もが思いつく訳ではないから、それを補う為の根性論や精神論というのも否定はしません。
が、勉強でも運動でも考えなしにテキトーにやれば良いという訳ではなく、まずは、どうやれば的確なのかを理解してからやるべきだと思ってます。
勉強すべき事に対する勉強が大事というか。
◆でも、結局行動したものが勝ち
合理的な方法も浮かばないし、頭で考えてもどうしようもないというのならば、何もしないよりかはやった方がまし。勉強でも何も浮かばないなら、とりあえず出来る事をやってみる。
一歩目を歩み出さない人が一番ダメ。
でも、勉強とか運動とかは、お金をかけた方がよりベストに近くなるとは思います。語学習得やトレーニングならパーソナルトレーナー雇うとか通うとか。
◆行動しながら軌道修正していけばOK
なんか矛盾してる風だけど、矛盾してない。
頭を使って行動するのがベストだけど、頭を使って行動出来なくても、行動するのがベスト。
例えば「勉強の仕方がわからないから勉強しない」なんて愚の骨頂。
最初、わからない時は、何がわからないのかもわからなくて当たり前だから、まずはスタートラインに立ってみる。
で、それ以降を頭使って試行錯誤。
最初に完璧を目指して、出来なさそうだから、スタートラインにも立たない、というのも多いし、いざ歩みだしてからいつまでたっても頭を使わないままというのも多いと思います。
最初から何でも出来る訳ではないから、いかに効率よく知識を吸収していくかが大事だと思います。勉強でも練習でも仕事でも遊びでも何でも。
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