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世の中には沢山の『めんどうくさい』がある。対処と考え方。

この記事の所要時間: 627

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めんどうくさい人、めんどうくさい仕事、めんどうくさい移動、めんどうくさい天候。それこそ無数。

結局これって自分の考え方次第というのはわかるんだけど、そんな簡単に日曜日の牧師の様な顔をして温和で居られたら苦労はない訳で。

経験則に基づいて考えると、二回めんどうだと思ったならば、もうそれはめんどうくさいです。対人でもなんでも。あとはめんどうくさいなと思う事が機会に応じて増えていくだけ。

解決策として浮かぶのは安易なのも含めて

  • 我慢したり諦める事で気にしないフリをする
  • 排除する
  • 受け取り方を変える
  • 逃げる
  • 忘れる様に努力する

なんか切りが無いからまあこの位にするとして、結局逃げる以外は我慢するしかないという。考え方を変えるも我慢の一種だし。

でもまあ、考え方を変える、というのが結局ベスト。受け取り方を変える。

でもその前に。

 

逃げる、排除するという選択肢

それが可能な環境なら別に良いんじゃないの? って思ってます。それによって生じる問題は全て自己責任だけど、それでも嫌なら無理して我慢する必要は無い気がする。

天気が悪くて出かけたくないなら仮病を使えばいいし、嫌な奴とは距離を取ればいいし。

まあ、言うのは簡単だけど実際に行動するのは難しいと思うけど。

◆損得勘定というか打算的な観点で選択

妥協点でいくと、この考え方がいいのかなと思います。
例えば

  • 仕事めんどうくさいけど生活の為には働かなくては 
  • 仕事めんどうくさいけど生活があるから転職しよう

とか。

ここで

  • 仕事めんどうくさいからやめよう。生活はまあなんとかなるよ。

とかが、本当に「なんとかなる」ならいいけど、無鉄砲な思考は本当に追い詰められた時だけにした方が良いと思います。

つまり、本当にギリギリだったら選択しても良いという事。

でもまあ、基本的には打算的に損得勘定ありきで考えるのが良いです。そこで生じる我慢は極力減らせていけたら良いけど。

今思った事で言うと、「面倒くさい」を「めんどうくさい」と書き続けるの面倒だからやめよう、とか。一個の文章中で書き方を変えるのは良くないとわかってても面倒だからいいや、という判断。

 

受け取り方を変える

これ、私が実践してる主な手法です。自己啓発的なものでも、体育会系的なものでもなく、結構シンプルに自分があまり我慢しないで済むように都合よく解釈します。

  • この仕事は面倒くさいけど、まあ新しい事覚えたりするのは楽しいからいいか
  • 付き合いでパーティ出席するの面倒くさいけど参加したら楽しいから行こう
  • この人はいちいち面倒くさいけど、思考が単調な人だから仕方ない

あ、でも、対人に関しては面倒だったらどんどん排除しちゃってるかも知れない。でもそれは、そこまで面倒だと思う人が多くないからかも知れない。

気にしないが出来たらそれが一番楽なんだろうね。一晩寝たら忘れるみたいな。これって特殊スキルだと思うから出来る人、本当にすごいと思う。

◆仕事上での対人関係

本題とそれちゃうけど、こういうのって仕事よりも対人が多くて、なんなら「仕事上での対人関係」で悩む人が多いだろうから触れておくと、人と人なんて合う合わないあるし、それこそ死ぬほど苦痛だったら逃げちゃえば良いと思ってます。

苦痛を我慢する苦痛を我慢するくらいだったら、その苦痛を新しい仕事探す苦痛に費やした方がずっとまし。

私の場合だと、そんな人とは仕事しないです。他の人ともっと楽しく仕事する。楽しさはそのままモチベーションに直結するし。これ、自分自身が経営者じゃなかったとしても変わらないです。

 

◆プライベートの対人関係

プライベートの対人なら、別に我慢する必要なんてないし、いちいち反論したり怒ったりしてあげたりなんかしないで、そのまま黙って立ち去ればそれでOKその人が人生で学べてこなかった事をいちいち教えてあげる義理はないからね。その義理があると思える様な相手だったら、そこまでストレス感じないだろうし。

それでも逃げたりしないで向き合いたいというのであれば、こいつは馬鹿だから仕方ないと下に見ておくと楽だと思います。

「馬鹿なんだから仕方ない。言っても無駄」というのは差別ではなく区別。まあプライベートでそこまでする必要はないと思うけど。

押し付けがましい意味ではなく、こちらがしてあげてるだけの事を返して貰えないのは百歩譲って仕方ないとして、やって当然と思われてるなんてケースでも当てはまると思う。そんな人、友達でもなんでもないからいらない。

基本的に知識やスキルを教えたり活用してあげても、感謝とかされないで利用されるだけなので、もしこういったケースでめんどうくさいと思うなら、やってやる必要はなし。あ、これも勿論なんらかの損得勘定を踏まえた上で、ね。

自分自身で言うと面倒くさくないなら別に助けてあげてもいいじゃんと思うけどね。

ま、こういうプライベートのケースって、友人よりも知人に対して抱く事が多いと思うけどね。友達の友達だとかそういう類。

簡単に切り捨てたりするのはダメだと思うけど、それこそもうダメだと思う一歩手前で踏みとどまって切り捨ててしまう事も大事。

こういう事で悩んでる人は大半がやさしい心の持ち主(褒められないやさしさも含めて)だから、自分と自分の心を守る事が大事。

 

最後に。リラックス方法を探すのも有効

自分なりのリラックス方法を見つけてストレス軽減というのも一つの手だろうけど、根本を解決しない限りストレスは積み重ねられるだけな気がする。

もちろんリラックス出来て本当に忘れられるなら良いと思います。最善策。

まあ、簡単な運動、散歩、日光浴なんていうのは手軽だし本当にストレス解消になると思うけどね。自分の例を出すと楽器演奏、外で読書、最近行ってないけど風景写真を撮りに行く、とかも。

 

◆外出は良い。街の人が面倒くさいなら本を持って一人になれる場所で。

無駄なアウトドア推進委員会ではないけど、電動自転車で本屋やDVD屋をめぐったり、庭園とかでテキトーに写真撮ったり(スマホのカメラだって充分)、スイーツを食べに行ったり、本を一冊持ってどこかに読みに行ったりとかは有効だと思う。まあ、日光を浴びたり、軽い運動したりに繋がるのかな。

あとは一食分程度の交通費をかけて、ちょっと遠出して本を読んでご飯食べて帰ってくると旅気分も味わえるのでおすすめです。

具体的には品川駅から横須賀線のグリーン車(交通費と同額程度。土日ならもっと安い)に乗って神奈川県に向かい、「電車内と行き先で本を読んでご飯を食べて帰ってくる」とか。こういうの、ほんとおすすめ。ノート一冊持ってテキトーにでかけて落書きするだけとかね。私の場合は絵ではなくて文章だけど。

どんなに時間がないといっても、時間給で長時間拘束されてるとかじゃなければ、無駄にしてる時間は誰しもあるので、そういった時間を有効活用。2〜3時間程度なら本気で作ろうと思えば簡単に作れる範囲だと思うから、そういう時間を有効活用する感覚。

なんにせよ自分が疲れない人生を。人を疲れさせて自分だけハッピーで居ようとすると、意図の有無に関わらず、逆に自分が距離を置かれたりするので注意

自分が嫌な事を人にしないって簡単に見えて難しいよね。意図の有無に関わらずだし、これにしたって結局、受け取り方次第だし。

 


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