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『努力』という言葉を安易に使う無意味さ。

この記事の所要時間: 122

 個人的に、根性論や精神論は限界があると思ってるので、具体性がないケースでの「努力で補う」「気力で補う」という概念は嫌いです。

 例えば、営業目標とかで「気合入れて頑張ります!」ではなく、もっと理論的に説明して欲しいというか。

 もちろん、そういった意気込みのアピールも大事だとは思いますが、具体的な目標なり、方針なりを提示しないと信用されない気がします。私は信用しません。ただただ安易に便利な言葉を使ってるだけ。

 なので、何をやるにしても、人に説明できる具体的なシステム化を作るであるとか、自分にあったシステムもしくはそのシステムに慣れるために努力するとかならわかりますが、理論的に説明が出来ないごまかしの「努力します」は何の意味もないと思ってます。

 説明する必要がない人に対して、面倒くさいから「努力してます」みたいに答えるのはわりとよくある話だけど、だからこそ安易に言われるのが嫌なのかも。

 面倒くさい事は長続きしないから、自分が面倒だと感じない仕組み作りが大事

 面倒だと感じる事は世の中沢山あって、面倒だけどやらなくてはならない事も沢山あるけど、面倒な事を面倒だと感じたままだと、それこそ根性論や精神論を振りかざしたりしがちだけど、面倒に感じない為の努力こそが大事だと思います。

 前述した、システム化であるとか、もしくは慣れるであるとか。

結局、努力はしなくてはならない

 なので、有意義な事にその努力を費やすべきだと思ってます。

 あんまり意味のない事や、非効率的な事に対しての努力は、努力の無駄遣い。

 


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